”カーニバル”という言葉は多くの人が聞いたことがあり、遊園地ではだいたい年中”○○カーニバル”が開催されていますが、本来の意味を知っている人はあまりいません。
それもそのはず、起源はキリスト教の伝統に深く根差していて、キリストの復活祭(イースター)前の大規模な断食(四旬節)に備えて、”たくさん食べてたくさん騒ぐ”それが要するにカーニバルなのです。
キリスト教の伝統があまり根付いていない国々では、この”たくさん食べて、たくさん騒ぐ”の部分だけ上手いこと切り抜いてしまったので、カーニバル=祭りと誤解されてしまったようですね。
(仏教や神道的なものは祭りと呼び、それ以外をカーニバルと呼ぶことで、日本人はいつでも合法的に騒げます)
さて、西洋のカーニバルと聞いて、すぐに連想されるのは、「ヴェネツィア・カーニバル」と
「リオのカーニバル」ですが、日本の祭りが京都祇園祭だけではないように、たくさんの地元のカーニバルがあります。
今回は、カトリック教会の総本山バチカン共和国のあるイタリアから、派手でシュールな地元のカーニバルをご紹介します!
オレンジ戦争――イヴレーア
まずは、2006年の冬季オリンピックのあったトリノ県内、イヴレーアという都市から、柑橘系のカーニバルを。
カーニバルの最後の3日間、9チームに分かれた市民がオレンジを投げ合います。
各チームには「死」、「悪魔」、「さそり」など黒々した名前がつけられていて、手作りのユニフォームを身に着けます。
元々は中世の市民の反乱を再現したと言われていますが、戦場では誰もそんなことに興味はありません。”オレンジの雨が降り、隣人の頭で潰れて飛沫が舞い上がる”そんな非日常的な光景に誰もが夢中になってしまいます。
そして、もちろん危険。
市民は専用の強化マスクを被り、見物客は鉄格子に保護されます。
それでも救急車が何台も行き来するのは毎年のこと。
オレンジの無駄遣いやその危険性の高さから、様々な批判を呼んでいますが、何らかの形で残ってもらいたいものです。
ニョッキな金曜日――ヴェローナ
続いては、ニョッキのパパが民衆にニョッキを届ける、ヴェローナのカーニバル。
ニョッキはじゃいがもと小麦粉を練って作られる団子状のパスタで、日本でも人気のイタリア料理です。
投票によって選ばれた、ほぼサンタクロースのニョッキのパパと呼ばれるおじさんが、カーニバルの最後の金曜日、ヴェローナの街中を訪れます。
子供達にはお菓子を配り、大人にはトマトソースのニョッキをふるまいます。
出典:corrieredelveneto.corriere.it
出っ張ったお腹と、でっかいフォークにニョッキを突き刺して歩くニョッキのパパ――ちょっとした冗談みたいですが、実は16世紀までさかのぼる誕生の秘話があります。
16世紀初頭、洪水と襲撃を原因として、ヴェローナは大規模な飢餓に見舞われました。10年間の食糧不足を人々は生き延びましたが、もう食べ物は残されていませんでした。
絶望に浸る民衆を救ったのは、数名の有志の人々でした。彼らは自腹で小麦粉と水を買い、ニョッキを作りました。そして、めでたく、普通に食べ物が手に入るまで民衆は生き延びることができたのです。
そんな有志の人々を、ニョッキのパパとして表現し、感謝をささげ、みんなでニョッキを食べるというのがヴェローナのシュールなカーニバルの起源なのでした。
ヴェローナ県民にとってはこれこそがカーニバル。
ですので、彼らに向かって「カーニバルといえばヴェネツィアだよね」とか言ってしまうと、傷つきます。
”どんたく”とか”ブラックモンブラン”が全国共通語ではないことを知った福岡県民と同じくらい傷つきます。
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